御 祭 神

◯本殿 皇居賢所に祀られる宮中三殿の内、八神殿と同神。『古事記』『日本書紀』冒頭に見られる神々。

   高御産日神(タカミムスビノカミ)   天御中主神と並ぶ造化三神

   神御産日神(カミムスビノカミ)    宇宙生成化育の神

   生産日神(イクムスビノカミ)     生産の神

   足産日神(タルムスビノカミ)     農饒の神

   玉積産日神(タマツメムスビノカミ)  物を生み出す神

   大宮売神(オオミヤメノカミ)     和平をはかる神

   御食津神(ミケツカミ)        食物の神

   事代主神(コトシロヌシノカミ)    国土安穏 皇室守護の神

〇樹下稲荷社

   食稲魂神(ウガノミタマノカミ)    商売繁昌の神。食物の神


〇雨社

   髙龗神(タカオカミノカミ)      水の神

御 由 来

本社の御鎮座は、平安時代初め大同年間(西暦八〇〇~八〇七)と伝えられ、平成十九年目出度くご鎮座千二百年を迎えられました。ただ幕末嘉永六年(一八五八)の浄土寺村一村全焼により古文書等も焼亡し、くわしい歴史は明らかではありません。

ただ『諸社根元記』には

 延喜五年(九〇五)十二月二十六日宣下、山城国愛宕郡如意峰の神祇斎場所に、二千百三十二座の神体を鎮め安じ奉る。

と見え、後の文章には

 鎮魂の八神殿、亦神祇宮に在り。則ち今の二条所司庁の西なり。茲れ自り東山如意嶽移り、御土御門院天皇の文明十六年(一四八四)吉田神楽岡に移しまつる。

とあります。

思考するに、古くより浄土寺地域一帯の産土神として祀られていた神社の社地へ、延喜五年神祇宮で奉斎されていた神々が祀られる事となった。また相殿の樹下社も、比叡また日吉大社が勢力を大きく伸ばした平安時代後期から鎌倉時代にかけてのいずれかの時期に祀られたようである。すくなくとも室町時代足利義政が東山殿を建てた頃には八神社として本殿二棟、東に八神、西に樹下社が祀られていた事が慈照寺所蔵の絵図によって知られる。

その後文明十六年に八神殿が当所より吉田神楽岡(現在の吉田神社大元宮)に移された後も、平安時代より八神殿を祭祀してきた場所として引き続き宮中八神殿の神々を斎ってきたと思われる。

現在では浄土寺一帯や慈照寺の鎮守として広く崇敬を集めている。

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